本当のことを言う

by Gangaji

自己探求のしかたの一つは、「本当のことを言う」ということです。人は普段よく、相対的な真実は口にします。

たとえば、「私は腹が立っている」とか「あなたは私を傷つけた」というように。そしてそれで全部だと思うのです。

目の前にある、相対的な真実はたしかに、あなたは腹が立っているのであったり傷ついているのであったりするかもしれません。

けれどもそれは真実の全貌ではありません。それはあなたが感じていることです。今この瞬間あなたが感じていることは相対的には真実かもしれませんが、それは最も深いところにある真実とは違います。

私たちは普通、感情、経験を真実のすべてだと解釈し、その解釈が終わりのない苦しみの連鎖を生みます。

私たちは自分の気持ち、思考、感情、状況によって自分の物語を作り出します。そして物語を真実だと信じます。

感情の物語が苦しみに充ちたものであれ、幸福なものであれ、それは最終的な真実ではありません。

物語と、真実を区別できるのは、識別力の一面ですが、それは自己探求から自然に生まれる副産物でもあります。

肉体、感情、あるいは知性と自分を同一視する、という誤った認識から、大きな混乱が生じます。肉体が痛みを感じると私たちは、「痛い。困った」と言います。

これが普通の言葉使いです。「身体が痛い。私の肉体は痛みを感じている」と言うと、その意味は大きく違ってきます。

感情的に混乱していると私たちは「私は不機嫌だ、私はとても悲しい、私は腹が立っている」と言い、「私の感情は混乱している、怒りがある、深い悲しみがある。」とは言いません。

嬉しいときも、悲しいときも、それはあなたがそうした感情よりもっと深いところに何があるのか、本当のことを認めることのできる機会です。

つづく