私たちは誰かに必要とされることで、充実感や満足感を得ることができるし、喜びを感じることもできます。
必要とされているという感覚は、相手の役に立つ自分でいられるわけですから、自然とやる気も充満してくるかもしれません。
誰からも見向きもされなくなったら、とても悲しくなるのは人情として当然です。世界中の人に必要とされなくても、誰か一人でもいいから必要として欲しいと望むのです。
子供が生まれると、赤ちゃんは何から何まで親に依存せずには生きていけないので、親は自分が必要とされていることに喜びを感じるのです。
けれども、必要とされるということは、相手にとって都合のいい存在だという面もあるということに気づくことができますね。
あなたなしでは生きていけないと誰かに言われて、喜んでばかりはいられません。なぜなら、それは~をちょうだいと言われているのと同じだからです。
本当の愛は要求することの代わりに与えるのです。何かを必要とする代わりに、あるがままを受け入れるのです。
必要とするというのは、愛への渇望です。であるなら、必要とされたいと願うのは、~をちょうだいと同じ気持ちだということに気づけます。
必要とされることを渇望しているということですから、そこには愛は存在しないと分かりますね。でもそんなことは構わないのです。
そういう自分の心も受け入れてしまえばいいだけです。気づかぬうちに、与えている自分がいるということにも、きっと気づくときがやってきます。