子供のころに、「自分は誰かに生かされているような気がする」ということを父親に話したことがあります。その誰かというのが神様のことだったのかどうかは分かりませんが。
ただ、何となく漠然とそのような感覚を持っていたというのは確かでした。でも口に出したのはそのとき一回だけでした。
そんな説明できないようなことをいくら訴えたところで、予想通り誰にも伝わらないと思ってしまっていたからですね。
その後、輪廻転生について何度も考えが変わりました。ある時期には、きっと自分の魂は今までにも何度も生まれ変わって様々な人生を生きたに違いないと思っていました。
またあるときには、いやいや死んでしまったら一切合財が無になるはずだと。死んだ後までも何かが残るなんて、想像しただけでぞっとすると。
信念がないというのか、気持ちが変わりやすいというのは、どう表現していいか分かりませんが、とにかく変わらないカチッとした考えというのがなかったのです。
今は、そうしたこうに違いないということそのものが消えていってしまいました。つまり、信念そのものの重要性が薄れてしまったわけです。
このように、私の人生観は見事にその時々で変化してきました。だからこそ、今私が思っていることも明日になったら変わってしまう可能性があるということです。
それは正しさに興味を持てなくなってきたということでもあるのだと思います。何年か前に、人物としての自分は思考の産物だということが分かったときには、根本が覆ったような感覚になりました。
そんなわけで、これからも人生観は変化するのでしょうね。というよりも、人生観を持っている自分をただ見る視点が色濃くなってきたということかもしれません。