この世界の一般的な見方として、成熟した大人になれば、それだけ問題解決の能力が高くなるというように考えられています。
確かに学校の試験を解くことにしても、小学生よりも大学生の方がより高度な問題を解くことができるわけです。
新米の一年生社会人よりも、熟練した経験を持つシニアレベルのほうが、より的確な解決能力を持っているのは間違いありません。
けれども、もう一つの見方をすると、問題を解決するということを繰り返すことで、「自己防衛システム」が強化されるということに気づくことができます。
防衛システムは、問題を見出しては解決する、あるいは乗り越えるということを継続的に行うことで、それ自体の存続を目論んでいるのです。
だからこそ心の余裕をなくした心配性の親ほど、焦って問題を解決しようとばかりしてしまうのです。
例えば、いじめに苦しんでいる子供が、その辛い思いを母親に打ち明けたときに、親がびっくりして先生に電話をかけたり、いじめの中心となる子供の家に抗議をしに行ってしまったりするのです。
子供は、いじめを解決して欲しかったわけではないかもしれないのにです。子供は、ただその悲しみを一緒にいて受け止めて欲しかっただけなのです。
そうした親の言動は、傷ついた子供の心をさらに痛めてしまう結果になるのです。私たちは、とにかく「自己防衛システム」が促すままに、問題を解決しようと躍起になってしまうのです。
そのことにしっかり気づいたうえで、対処よりもただ寄り添っていることの大切さを知ることが必要ですね。
何か問題が見つかったり、困った事態が起きたとしても、慌ててそれを解決しようとするよりも、ただそれを真正面から見つめることなのです。
それだけで、問題だと思っていたことが次第に取るに足りないことに思えてきたり、心の痛みが緩和されてしまうという経験をすることができるかもしれません。