私たちは人間として生まれて、当たり前のように大人の人間へと成長していきますが、実は人が人になるのには条件があるのです。
それは、物理的に人間として生まれて、大人の人間に育てられるということが必要なのです。ただ、人間として生まれても自我を持った人間に育てられなければ、一人前の人間にはなれません。
そのことは、狼に育てられた少年の事例を思い出せば明らかです。私の知っている例では、彼は背骨が曲がってしまっていてしっかりと直立して歩くことすらできない状態で発見されています。
教育を受けさせようとして試行錯誤しますが、彼は単純な言葉を発するようにはなるものの、その年齢の子供のようにはなることができませんでした。
人間として生まれたということは、単に一人の人物への成長する潜在能力を持っているということしか言えないのです。
幼児は、自然に親や周りの大人たちが話している言葉を理解し、自分も話せるようになっていきますが、それと同じようにして自分がここにいるという認識(自我)が芽生えるのです。
人間以外の何かに育てられたなら、自我は育ち様がないわけです。つまり、私たちは周囲に教わりながら、あるいは洗脳させられることで、一人の人間となっていくのです。
生まれながらに、人間であるわけでは本当はありません。つまり、作られたものだということに気づくことです。立派な人間になるための代償はあまりにも大きいものでした。
そうであるなら、作られる前の本来の自己、ただあるがままの自己に気づくことも可能なのではないでしょうか?オリジナルはそのままに在るからです。
その本質に気づくことこそ、一度人間として生きて苦しみぬいた我々が真に成熟することなのだろうと思うのです。