一般的に、意識とは目覚めていて一定の精神活動を行っているという自覚があることを指すと言っていいと思います。
私たちは、「意識がある」という表現を使いますが、この場合の意識とは自分のことを自分だと分かっている自覚のことです。
けれども、もう少し正確に表現すれば、それは思考にほかなりません。ごく普通の精神状態においては、意識があって思考がないということはないからです。
そのことをよく見つめてみると、ここに自分がいるという自覚は思考そのものだったのだということがはっきりするのです。
そして、裏を返せば、思考が活動を停止してしまったら、目覚めていたとしても「自分」という自覚は消えてしまうということです。
つまり、「私」という自覚は思考の中で起きていることでしかないということです。私たちは肉体のことを自分だと思い込んでいるのですが、実は思考であったということです。
その自分とは、人物としての、個人としての自分のことを指します。個人としての自分の正体とは、何のことはないただの思考だったということです。
このことと正面から向き合って見ると、大変なショックを受けるかもしれません。なぜなら、自分の実態がただの思考に過ぎないのですから。
でも、安心してください。思考のないところ、その外側に在るものこそが、本当の本当の私たちの本質なのですから。
それこそが、純粋な意識、純粋な気づきとしての私たちの真の姿なのです。一日のうち何回でも、そこへ注意を向けていることができるといいのですが…。