私たちの誰もが物語のことが大好きなのですが、その物語のそもそもの始まりは何かを信じるということから開始するのです。
信じるという心理的な行為がなければ、物語は存在することができません。信じることの連続によって、時間の流れを感じるようになるからです。
その時間の中においてのみ、あたかも物語が進行しているように感じることができるのですが、私たちは信じているということを忘れてしまいます。
そうやって、目の前に繰り広げられている物語がまるで真実であるかのように見てしまうようになるということです。
この現象界に物語があるのではなくて、自分の心の中にこそでっち上げられた物語があるということを見抜くことです。
それなくして、物語から抜け出すことはまったく不可能になってしまいます。物語の中にいるという錯覚が続く限りは、本当の本当の自分の本質に気づくことはできません。
私たちはあるがままを見ているつもりになっているものの、実際は自分が信じ込んでいるものを事実だとして見ているに過ぎないのです。
自分があらゆる物事を信じている、あるいは信じていない状態であるということに気づくことです。その一方で、真実を信じることはできません。
真実は信頼することしかできないのです。信頼は時間を必要としないし、対象物があるわけでもありません。ただ在るということに気づくことこそが信頼なのです。
そこにはどんな物語も存在しません。すべてが私たちの本質からやってくる、瞬間ごとの細切れの現象なのです。それが今という真実ですね。