住み慣れた街というのは、何となく愛着を感じて去り難いものなのかもしれませんね。急に思い立って、違う事務所を探そうと思ったときにも、今のセッションルームのある吉祥寺しか頭に浮かびませんでした。
12年前のちょうど今頃から年末にかけて、セッションルームを探していたときに、気に入ったのですが空きがなくて諦めた物件があったのです。
そのことを思い出して、今回そのマンションを探してもらったら、運良く空く予定になっている部屋があるとのことで、他の物件も見たのですが結局すぐにそれに決めてしまいました。
話しを元に戻しますが、慣れるということは、飽きるということもあるのと同時に、必ず馴染んできて好きになるということもあるのです。
それは、いつも見慣れて深く知っていくうちに、恐れが取れていくからなのだと思うのです。知らないものは、基本的に危険であると感じる本能があるのです。
このことは、どんなものにも当てはまります。見合い結婚で、たいして相手を知らないところからスタートしても、毎日一緒に生活していれば相手のことを深く知るようになりますね。
そうすると、恐れが薄れていくために、愛が芽生えるのです。それは芽生えるというよりは、本当は元々あった愛が姿を顕わすようになるだけなのです。
私の奥様は、特別クルマの運転が下手なわけでは決してないのですが、慣れないうちはあまり楽しく運転ができないようなのです。
つまり、知らないことに対する恐れがそこにあるからなのですね。けれども、そのクルマに慣れるにしたがって、自分の手足のように運転することができるようになると、こんなにいいクルマはないと言い出します。
それも同じことです。恐れが少なくなっていくことで、隠されていた元々の愛が顕在化するということなのですね。