自分なんていない方がいいという罪悪感

私たち人間は、他の動物と同じように、相手の気持ちを感じ取るという生まれながらの能力を持っています。

ただ単に感じてしまうというだけでなく、相手を慮(おもんばか)るということもできる能力を備えているのです。

それは本当にすばらしいことなのですが、それが仇になってしまうという悲しい事実もあるのです。それは、もうほんの2,3歳の頃から始まっていくのです。

幼い子供は、どんなときでも親の気持ちをいつも感じつつ生きているのです。そして、上で書いたように、彼らの心の様子を見守ってさえいるのです。

もしもなんらかの理由で、お母さんやお父さんの心に穏やかさ以外の否定的な感情を感じ取ってしまうと、それをまるで自分の感情でもあるかのように見てしまうのです。

それは大変な傷になってしまうかもしれません。なにしろ、自分の心の中にはそうしたものは元々見当たらなかったのですから。

そして、もしかしたら相手の心に否定的なものがあるのは、自分のせいなのでないかと考えるようになってしまうのです。

親の気持ちが平安で落ち着いているときに、そうした思い違いを払拭してくれるなら問題ないのですが、それが十分でないうちにまた負の感情を感じてしまうと、思い込みが確信になってしまいます。

そうしたら、何で自分なんかここに生まれてしまったのだろう、自分さえ生まれてこなければ親はいやな思いもしないで済んだのにと信じ込むのです。

こうして、自分という存在に関する根深い罪悪感が出来上がるのです。これが、人生がうまくいかないと感じる根本的な原因なのです。

つづく