人間は、本質的には楽をしたい生き物のようですね。と、つい一般論的に言ってしまっていますが、本当は私自身が誰よりも該当者です。
常に、精神的にも肉体的にも楽をしたいと強く望んできた自覚がありますし、今もそしてこれから先もそうありたいと願っています。
そして実はそれでいいんだという思いもあったのです。あったと過去形で表現しているのは、そのことが少し変化してきた感じがあるからです。
楽をするということが、本当に幸せと連動しているのかどうか、そのことを詳細に見ようともしてこなかったということに気づいたのです。
ただ何となくというか、当然のごとく楽であることがイコール幸せである、あるいは幸せに近いのだと信じていたのでしょう。
それは、楽の反対である苦しい状態であれば、それは幸せとは遠いだろうということを感じていただけだったのですね。
本当は、楽というのはそれほどいいものでもないのです。楽をしたいというのは本音なのですが、それは結果として薄っぺらな人生を意味するのです。
楽とは、都合の悪いことから遠ざかろうとすることですので、自己防衛を手放すことはできませんし、自己防衛をあまりしなくてもいられるような状態そのものが、楽だということなのです。
楽であることとは、決して満たされることではありません。人生という物語を本当に深く楽しみたいのであれば、楽を願ってばかりはいられなくなります。
防衛せずにすむ環境を求めるのではなく、どんな状況においてもできるだけ無防備になることによってのみ、物語の深みに浸ることができるのです。
楽をしようとしている自分を監視して、たとえ楽ではないと感じることがあっても、少しずつでも防衛を緩める方向へと舵を取るように心がけることが大切なのだと思うのです。