思考は麻薬のような危険性を持っている

夕べ、自分としてはとても珍しいことなのですが、思考が止まらずになかなか寝付けないまま、とうとう一睡もせずに朝を迎えるという経験をしました。

何か考え事をし出すと、寝つきが悪くなるということは、今までにも何度もあったのですが、まったく寝れなくなったというのは、記憶にありません。

心のなかで何が起きたのかというと、どうも思考を止められなくなったのではなくて、止めたくないという意識に覆われたように感じています。

つまり、寝付けなくて困ったなあと切実に感じることがなかったということです。寝れないなら寝れないままに、浮かんでくる思考に巻き込まれようという意志が働いたということです。

それは思考によって、未来をああでもないこうでもないとイメージすることを楽しんでいたのでしょう。確かに最近感じていた閉塞感のようなものを打破するような感覚がありました。

けれども、寝ずに思考し続けた中で得られた結果というものが、どれほど価値のあるものなのかと考えてみると、そこにはほとんどといっていいくらいに意味を見い出すことができないのです。

巷でよく、夜考え付いた名案は、あくる朝になってみると、大したものではなかったということが言われますが、まさにそれでしたね。

そして、それと同時に思考に巻き込まれることを自ら楽しむことを続けてしまうと、気づいたときには思考を止められなくなるということも確かのようです。

明け方5時ごろになったときには、さすがにもう寝ようと思ったのですが、そのときには思考は落ちつきつつあったのですが、それまで発動したアドレナリンの影響で心が沈静化しなくなってしまったのでした。

やはり、いたずらに未来のことについて思考で遊ぶのは、危険が伴うということなのですね。それは、麻薬のような類の性質を持っています。

自分としては、いつでも止められると思っていたものが、いざやめようとしてももう思い通りにはならなくなってしまうということです。

思考で楽しむのは、ほどほどにするほうがいいということですね。