真理に近づこうとすれば、矛盾を避けられない

思考を使って真理を解き明かすことは不可能なことです。なぜなら、思考は個別性であり、真理は全体性だからです。

真理について思考しようとすれば、必ずそこには矛盾が発生することを知ることになるでしょう。それは、仕方のないことです。

思考による理解には、分析といういわば部分を対象とした作業があるのですが、それをどれだけ積み重ねたとしても、全体性へは到達しません。

さらに、理解にはそれなりの時間と努力を要しますが、全体性という真理は一瞬にして気づくことができます。真理は時間の外側にあるからですし、思考は時間の産物だからです。

思考ができるもっとも価値ある理解、あるいはもっとも高尚な認知とは、こうした思考の限界性に明確に気づくことなのです。

つまり、思考がそれ自体によって自らの限界を認めるということです。これを一度でもはっきりと通過してしまうと、その後のあらゆる議論が物語の中の戯れに過ぎないと分かってしまうのです。

どれほどの理不尽さであれ、どれくらいの不正であろうと、それが精神的にはどんなに耐え難い酷なものであったとしても、それは思考という物語の中での戯れなのです。

そもそも、そういったものを何とか解決しようとすることが、真理とはまったく異なる思考の中でのことでしかなかったということにも気づくことになるのです。

このことは、すばらしく救われることになるはずです。真の救いとは、そういうことなのです。だからといって、何もせずにじっとしていればいいというわけではありません。

思考を使って、熱意を持って何かをしていくことも大切なことだと思います。こうした一見矛盾に感じるようなことも、真理に近づけば近づくほど、避けては通れないことなのですね。