愛と恐怖のからくり

この世の中には、究極的にはたった二つの考え方(あるいは生き方)しかありません。それは、自分の命を守ろうとするか、あるいは自分の命を与えようとするかです。

前者を恐怖と呼び、後者を愛と呼ぶのです。私たちは、すぐにそのどちらを選択するのかという観点で見てしまいがちです。

けれども、本当は恐怖と愛が互いにせめぎ合っているわけでは決してありません。その二つは、ちょうど雲と青空の例えを使えば簡単に理解できます。

私たちはみな、雲一つない青空が大好きですね。でもいつもそうなるとは限りません。空一面に雲が立ち込めてしまえば、青空は隠されてしまいます。

つまり、青空と雲は対等なのではなくて、常に在る青空を雲が隠してしまうからこそ、青空が見えなくなってしまうということです。

愛と恐怖の関係もこれと同じなのです。愛は常に私たちの本質として在るものであり、恐怖がそれを覆い隠してしまうことがあるということです。

どんなに青空が好きな人でも、雲が雨となって私たちの大切な飲み水を恵んでくれることを思い出せば、雲も大事なものであることは明らかです。

つまり、恐怖がなければ、私たちは自分の肉体を守ることができません。けれども、必要以上の恐怖によって自己防衛するということは、愛を隠され続けることを意味します。

それはまさしく、重くどんよりした一面の雲によって、清々しい青空を覆い隠され続けているようなものだということです。

もしも、自分の心の中に継続する雲(恐怖)があるなら、それを直視することです。そうすれば、それは自分が作り出した不必要な雲であったことに気づかされるはずです。

気づけば自然とその雲はどこかへ流れていって消えてしまいます。実際の空にしても、いつも雲は来ては去っていくのですから、それと心も同じ状態であれば健康なわけです。

いつも澄み切った青空のような状態の心を求める必要はありません。雲は必ず来ますが、また去っていくのですから。

そして愛という青空こそが私たち自身の本質であることに気づけば、雲が張り出してきたとしても全く心配する必要などないことが分かりますね。