敏感な体質で生まれてきた赤ちゃんが育っていく間に、大抵は怖がり、痛がり、泣き虫、弱虫などと否定的に揶揄されることになるのです。
けれども、それは理屈からして仕方のないことですね。同じ外部刺激に対する反応が一般レベルよりも過剰なわけですから。
本人としては、努力したところでそれを何とかできるわけでもないですから、なかなか面倒な人生だなと感じることになるのです。
たとえば、猫舌がひどくて友達と一緒のペースでは熱いものを食べることができないとか、天候の変化などに体調が強く影響を受けてしまうとか。
子供のくせに、お母さんが作ってくれた料理の微妙な味の違いを分かってしまったりして、「うるさがた」と言われてしまうのです。
一言で言えば、面倒くさいやつということかもしれません。本人だって、もっと物事に対しておう揚になれたらいいのにと思うのですが、感覚が鋭すぎるのですから仕方ありません。
そして、そういう体質の人は大概は、内的世界に生きるようになるのです。周りの人がみんな外側を見ているときに、一人だけ内側の感覚に意識が向いているわけです。
その場合の視線の矢は、確かに内向きではあるのですが、その矢が刺しているのは人物としての自分の内面なのです。
その場合の欠点はというと、ある種の神経症的な症状を発病する可能性が多くなるということですし、逆に利点は、内省的に生きることができる可能性が高くなるということです。
けれども、もう一つ大きな利点があるのです。それは、内向きの矢が自分という人物を刺す代わりにというか、それを通り越してもっと深奥の自己に刺さるとき、一瞬にして全体性に目覚めることができるのです。
そのとき、人は何者でもない真の自己を見ることができるということです。過敏ゆえに人知れず苦しんだ先に、こうしたプレゼントが待っているのですから、敏感さん、あきらめずに人生を楽しんで下さいね。