「へんざい」という言葉は、漢字で書くと「偏在」とも「遍在」とも書けるのです。どちらも同じ意味であれば、それほど問題はないのですが、それが全く逆の意味なのですから、驚いてしまいます。
「偏在」の方の「偏」という字は、「偏(かたよ)る」という意味の字であって、つまり「偏在」とはある場所にかたよって存在するということです。
一方で、「遍在」の方の「遍」という字は、「遍(あまね)く」という意味であり、つまり「遍在」とはあらゆるところに一様に存在するということです。
話し言葉として、まったく同じ「へんざい」という発音をするくせに、両者の意味が互いに反対であるというのは、困ってしまいますね。
何でこんなことを書いているかと言うと、昨日のクライアントさんとのセッションの中で、純粋な意識としての本当の自己は遍在するというお話しをしたのです。
すると、それを聞いたクライアントさんは、きっと「遍在」ではなくて、「偏在」の方を咄嗟にイメージされたのだと思うのです。
だから不思議そうな、理解に苦しむような顔をされたのでした。真の意識がどこかに偏って存在するなどとは、誰も考えないでしょうから。
同じ発音で意味が真逆になる言葉があったのですね。ひょんなことから新たな発見をしてしまいましたが、自分ひとりでは気づかなかったことです。
おかげで、これからは意識は遍在するということをお話しするときに、普遍の「遍」もしくはあまねくの「遍」の意味ですと補足する心の準備ができました。
そして、どんなときにも、やはり真の自己は遍在している、この明らかな全体性の感覚を決して忘れないようにしたいとも思うのです。