私たちの思考というのは、ただ起きていることに意味づけをして、それを時系列で見るという特性を持っています。
そうして、ただ現象化していることを物語として認識するということを、ずっと続けているのです。物語の一番身近なものとは、自分の人生ですね。
そして、もう少し視野を広げると、自分の家系の物語というのもあるでしょう。もっと大きく観れば、国家の物語、それは通常は歴史と呼びます。
更に、人類の歴史、地球、宇宙の歴史というように広げていくことができます。つまり、歴史とは過去から現在までの物語のことです。
学生時代には、ほとんど日本史や世界史には興味がなくて、試験の前日に一夜漬けで勉強したことしかなくて、恥ずかしながら知識は幼稚園児なみです。
飛びぬけた個人主義というのでしょうか、自分の中で国家感というものが非常に乏しいという自覚があります。
物語に興味がないのではなくて、単に視野が狭いということなのでしょうね。それが、最近少しずつ日本という国の歴史(物語)にも興味がもてるようになってきました。
「私」というのが思考そのものであり、その思考があらゆる現象を物語として解説しているだけなのだということがはっきりしたことで、かえって自分の人生レベルの物語よりも大きな物語にも目が向けられるようになってきたということなのでしょうか。
あるいは、年齢を重ねると共に、自分の人生という物語にはさほど興味を持てなくなってきたということでもあるのかもしれません。
いずれにしても、人生の残った時間で、今まで目を向けてこなかった国家や世界の歴史(物語)について、楽しみながら見聞を深めていきたいと思うのです。