安心と快適さだけでは満たされない

幸せの定義というのは、十人十色といわれるように、人によって様々かもしれませんが、それでも多くの人に共通していることは、安心、安全と快適さが必要だと思っているはずです。

その逆に、不安で不快な状態であれば、幸福などというイメージとは繋がりにくい感じがしてしまいます。

そして私たちは、その安心、快適というものが手に入れば、幸せになれるというように単純に直結してしまいがちなのです。

でもそれは本当ではありません。その理由はいたって簡単、つまり完全に安心できる完璧な安全とか、100%継続する快適さなどというものはありえないからです。

安心、快適を欲すること自体が悪いということではないのですが、そこに多大なエネルギーを費やすほどになると問題が起こってきます。

それは都合の悪いことから逃避しつつ、欲しいものを手に入れようとする人生ということになります。それが常に成功するという人生は決してないのです。

だからこそ、そこに苦しみが発生してしまうわけです。その人生を別の言葉で表現すれば、自己防衛の人生ということになります。

それも決して悪いことではありません。誰もが自分を守ろうとして生きているのですから。けれども、それがあまりにも強大になってしまうと、それだけ苦悩することになるのです。

深みのある人生について考えているのなら、苦しみや恐れ、不都合なものから逃げないことです。そして、都合のいい安心、快適さだけを殊更求めないこと。

自分がコントロールできる範囲をしっかり見据えて、コントロールできないと認識したことからは、きれいさっぱり手を引くことです。

そうして、自分の浅知恵などよりももっと奥深い知性に委ねることです。一過性の安心、安全と快適さだけでは、奥深い満足感を得ることはできないということに気づく必要があるのです。