「私」という自己防衛の方法

「私」という思考が作られるようになった理由とは、それがあることで最大の自己防衛ができるということなんだろうと分かりました。

どんな動物であろうと、個体として生き延びていくための自己防衛機能が必要なのですが、人間だけが最も効果的な自己防衛の作戦として、「私」という自覚を生み出したのでしょう。

最近、思考には目的として大きく二つの側面があると思うようになっていました。一つは、便利なツールとしての思考です。

そして、もう一つが自己防衛のための思考です。この二種類の思考において、それぞれ特徴的なことがあります。

それは、ツールとしての思考に対しては、私たちはそれを能動的に利用しようとする姿勢を伴うということです。勿論ツールですから、それがどれほど便利なものであれ、当たり前のことですね。

けれども、自己防衛としての思考の場合には、主従逆転してしまっているのです。つまり、私たちはその思考に対して受動的になってしまうのです。

そしてその受動的な状態があまりにも深く組み込まれてしまうと、無自覚にその思考に支配されてしまうということが起こるのです。

ところが、残念なことにこの思考による自己防衛のやり方で、本当に自分を守ることができるのかと言えば、そうではありません。

その防衛方法の特徴は、ほとんど一過性のものであるために、来る日も来る日もその防衛方法に頼り、結果として自己犠牲を積んでいってしまうことになるのです。

人間的な自己犠牲の原点は、「私」という思考が元となった自己防衛のやり方にあるということです。これは他の動物が本能的に行う自己犠牲的行動とは異なるものです。

私たちが幼い頃に作った信念体系の中には、この自己防衛と自己犠牲のトレードの方法が書いてあるというわけです。

どんな自己防衛の方法を使っているのかを、よくよく見ることです。そして、都合の悪いものから逃げようとしたその瞬間に、そのことに気づくようになることが大切なのです。

そうして初めて、逃げずに闘わずにただいるということができるのです。その地点で待っていてくれるもの、それこそが、広大な真の自己なのです。