ついでのついでにもう一つ、続きになるようなことを書いてみます。
自分に誠実に向き合う、自分にとことん正直になるためには、自分が日頃理性に対して与えていた最大級の権限を奪うことです。
勿論そのためには、まずそうしていることに気づく必要があります。理性とはすばらしいツールではあるのですが、ただそれだけのものだと気づくことです。
そのことを、理性によって認めることです。理性に埋没してしまっていると、理性が巧みに自分を騙す作戦を駆使していることに気づきにくくなってしまいます。
自分に正直でいるためには、理性というツールをなるべく使わないようにするか、あるいは理性の使い手としての気づきを持ち続けることです。
それは具体的に言えば、あらゆる言い訳を脇に置くということかもしれません。そのためには、言い訳をしていることから目を背けないことです。
自分とは、どんな人物なのかといった、通常私たちが最も大切にしている自己イメージは、実際理性によって保たれているものです。
したがって、理性の権限を剥奪し、単なるツールとしてみることができると、自己イメージそのものが、霧のように実体のないものだということも分かるのです。
そのときにこそ、ようやく自己欺瞞という重く垂れ下がっていたカーテンのような霧が晴れて、裸の自分の姿が見えてくるのでしょう。もう言い訳をする必要もなくなってしまうかもしれません。
その姿は、一つにまとまった個人としての自己イメージとは違った、その時々にやってくる張りぼての断片のようなものに過ぎないのです。
そうなると、それに対して懺悔する気持ちも、逆に誇るような気持ちも、なくなってしまうはずです。それはそういう対象ではないからです。
しかし、何度でも理性が主導権を握ろうとしてやってきます。そのときにも、そのことに対して正直でいることによって、看破することができるのです。