この広大な宇宙の外側がもしもあるとしたら、そこはどうなっているのだろうかという考えを持つことは可能です。
そして思考の中でその答えを見出そうとしても不可能であることも明らかです。なぜなら、その思考は宇宙の中にあるからです。
あるいは宇宙の一員だとしてもいいかもしれません。宇宙そのものが、宇宙の外に出ることは決してできません。
それと同じようにして、私たち自身が私から出ていくということも不可能なことです。私たちが思っている私というのも、単なる思考だからです。
ところが、その私という存在が、心を静かにして、つまり思考をなるべく追わないようにした状態で、今に耳を澄ますことを続けていると、私という思考と思考の隙間に、この私ではない別の自己を感じることができるときが確かにあります。
それは自分の中では、特別な経験ではなくて、不連続なびっくりするような何かでもなく、ごく平凡な体験として感じるものです。
そういう意味からすると、本当の自己とこの私という感覚は、それほどかけ離れたものでもなくて、ある程度連続しているようにも思います。
ただし、こうやって文章にしてしまうと、その途端に違うことを伝えているのに気づきます。なぜなら、思考の中で思考の外側を表現できないからですね。
次から次へと思考がやってきます。そしてそれは別に何も悪いことでもいいことでもありません。その思考をむやみに信じないということだけです。
思考の中で遊んでもいいし、思考から作られる感情に一時翻弄されるのも別に悪いことではありません。でも、そういったすべてが思考ワールド内での話だということです。
私という思考が、本当の自己を捉えようとすることを、完全にあきらめることが一番です。思考は思考を超越できないのですから。