自分はどこにいる?

瞑想しなくていいですから、できれば目を閉じて心を少し静めた状態で次のことを感じて見てください。

自分とはこの身体の中にいるのか、それとも外側にいるのか、あるいはどこでもないのか。もしも、身体の中のような感じがしたら、それは身体のどの部分でしょうか。

お腹のあたりか、胸のあたりか、それとも首から上の顔あるいは頭の中でしょうか。それがどの部分であれ、その部分の中身を解剖学的にイメージして見てください。

たとえば、頭の中にいる感じがしたのなら、頭の中をイメージするのです。そうすると、なにやら脳みそのようなものがぎっしり詰まっていて、血管が張り巡らされていますね。

そして、自分は本当にその中に納まっている感じがするでしょうか。私はそんなところには決していないと感じてしまいます。

私というこの気づきは、普段身体とくっついているように思えたとしても、こうしてちょっと冷静になって感じて見ると身体とは別次元だということが分かります。

つまり身体がここにあるからその自分もここにいるというのではなく、ただどこだと特定できないという意味のここにあるということですね。

到底身体の中になどいないと感じる自分をじっと意識してあげながら、今度は次のことを確認してみてください。上下、前後、左右というものがその自分にあるかどうか。

そしてそれを感じながら同時に、その自分の大きさはどのくらいだろうかを感じてみてください。そうすると、大きさもわからないし、前後左右上下という感覚もないということが分かります。

どんな形もなければ、色合いもありません。ただあるという気づきだけの自分がここにありましたね。はい、あなたはもう本当の自己を十分に感じることができています。

肉体は外側と内側という境界を持っていますが、今感じていただいている自己にはそんなものはないですね。これを悟りと呼んでもいいと思います。

もちろん呼ばなくてもいいです。大切なことは、目を開けてもやっぱりその自己という気づきはあり続けるということです。

そしてなるべくいつもその自分を確認し続けてください。その自己は目の前の誰かのことも包含しているということに気づきます。これは愛そのものの感覚ですね。