結果を求める心

以前にも書いたことがあったかもしれませんが、私は夢の中で何かをやろうとして、でもそれが思ったようには出来なくて、中途半端なところで目が覚めてしまうということがよくあるのです。

そんな時には、あれは夢だったと分かっているはずなのに、まだそのことが頭から離れずに残ってしまっていて、何だかいやな気分が続いてしまいます。

徐々にはっきりと覚醒していくにしたがって、夢だったんだからもういいじゃないと自分に言い聞かせて、ようやくそのことを忘れていくことができるのです。

とても馬鹿馬鹿しいことですが、夢だと分かっていても、途中でやめてしまってはいけないというような、妙な感覚が生々しくてすぐには断ち切れないのですね。

夢といえどもそんなふうですから、これが現実のこととなったらもっと思いを断ち切るのは難しくなるだろうことは想像に難くありません。

こうした思いというのは執着というのでしょうか。やりかけていたものを、こころざし半ばで頓挫させてしまうことが非常に苦手のようです。

きっと誰でもそうした傾向というのはあるのかもしれませんが、この感覚は自分が関わっている何かに対してすぐに潔く手を引くということができないことを意味しますね。

これだけ頑張ってきたのだから、ここで諦めてしまうのは勿体無いというような気持ち。それと、やっぱりやり遂げて何かしらの成果を出さないと駄目だという思い。

こうした思いを持ち続けていると、どうも今この瞬間を楽しむということから離れて行ってしまうように感じます。人生に翻弄されてしまうということに陥りやすいという感じもします。

どんなことにせよ、その時その時をただ楽しんで生活するように心がけることで、結果を求める人生から開放されて行けば、起きていることに翻弄されなくなるのではないかと思います。

毎日をただ笑いながら、みんなと和やかな時間を楽しむこと、結果ではなくてその過程を喜びながら生きられたら本当にいいなと思います。