泣きっ面に蜂とは、災いが重なってやってくることの例えですね。こういったことは実際よくあることだからこそ、こうした上手い表現の言葉が生まれるんでしょうね。
ちょうど、10年前の1月に癌が見つかって、2月に手術を受けたのですが、ちょうどその日に息子の高校受験の発表があり、さらに家内の父親が亡くなるということがありました。
お腹を切られてただベッドで寝ている自分はまだよかったですが、家内はきっと大変だっただろうなと思います。
こうしたことがただの偶然によって起こるとはなかなか思えないですね。でも、やはり起きる時には起きるものなのですね。
どうせいやな出来事なら、いっぺんに起きてしまったほうがいいという考え方もあるかもしれません。とは言うものの、限度はあるでしょうね。
なぜ重なるのかなと考えてみたのですが、勿論何も証明することはできないのですが、やはり昔流行ったバイオリズム的なことがあるのでしょうか。
体調のいい悪いのパターンがあるように、波動のいい悪いみたいなものもあるのかもしれませんね。今年の9月中旬ごろにクルマをぶつけられたことがあったのですが、実はその日の朝、自転車に乗った若い青年と交差点でニアミスも起こしていました。
どちらのケースも自分は全く悪くないのですが、相手からぶつけられたり、交差点から無謀に飛び出してきたりされたのでした。
どんなことでも、その渦中にいるとどうしても自分を客観視しずらくなりますね。それも、いくつかが重なってしまったりすると、なお更です。
それでも、後で冷静になって思い返してみると、そこにはいろいろな学びがちりばめられていたことを発見することができますね。
この先の人生のどこかでも、また泣きっ面に蜂のような事態がやってくることがあるかもしれないけれど、後々思い返せばどうってことなかったということになるんですから。
なるようになるし、死ぬときは死ぬ。なるべく、いつも流れに身を任せて無理しないことですね。それがきっと一番早く苦境から脱出する方法なんだろうなと思います。