小学生のころに、ボーイスカウトの下部組織であるカブスカウトというのに入っていたことがあります。紺色の帽子に紺色の上下の制服を着て、とても目立つ格好をさせられていました。
その時に、一年に一回必ず赤い羽根運動と言って、共同募金の活動をするのです。今でもはっきり覚えているのは、池袋の東口の一番人通りの多いところで募金箱を抱えて道行く人達に訴えるのです。
「共同募金お願いしま~す!」大声で何回も繰り返し叫んでいると、子供のそうした姿が可愛らしいと思ってくれるのか、大人たちは結構な数の人達が募金箱にお金を入れてくれます。
その額に関わらず、赤い羽根を一つ取ってその人の服のどこかの部分にそれを付けてあげるのです。あの時はほとんど何も考えずにただそれを続けていました。
それが人生で最初のボランティア活動だったと思います。それがボランティア活動だという意識もほとんどなかったと思います。
あれから自分はボランティア活動にはまったく縁のない人生を送ってきました。心が冷たいと言われればその通りかもしれません。
自分ではあまり意識はしてなかったかもしれませんが、なぜそうした活動を一切しなかったのかと考えてみると、どうも善意の活動というのが自分にはそぐわない感じがあったのだと思います。
そして、もう少しよく見てみると、その善意というのが自分で胡散臭いと思ってしまう部分があるように思います。つまり、誰かのためと称して自分のためなのではないかということです。
自分が心配していたのは、「役に立ちたい症候群」であってはいやだという思いだったのです。そうした自分を欺く的なことにひどく敏感だったのでしょうね。
この年齢になってようやくそうした心の欺瞞に対して、それほど恐れなくなってきたのでやらないよりやったほうがいいかもしれないと単純に思うようになれました。
人助けという言葉は今だに少し抵抗を感じるのですが、そんなことは大したことではないし、自分も助けてもらっていいんだということが分かって、ようやく誰かの役に立ちたいと改めて思える今日この頃です。