目の前にいる幼い子が何かを一生懸命にやっていて、もう少しで目標を達成しそうになっているのに、なかなかそこから進めないでいる姿を見たら、誰だってちょっと手を差し伸べたくなるものです。
ほんの少しだけ力を貸してあげるだけで、必ず成し遂げられると分かっているのに黙って見ていることは何だかせつなくなってしまうかもしれません。
どうすればできるのかを知っているものが、その方法を教えてあげるのは親切かもしれませんし、余力のあるものが力を貸すというのは決して悪いことではないですね。
しかし、自分が黙って見ているのが辛いという理由だけで、勝手に手を出して助けようとしてしまうことは余計なことなのかもしれません。
幼子に限らず、人は誰でもそれまで出来なかったことを、自分だけの力でできるようになりたいと望んでいるものです。それは楽しみでもあり、喜びにも繋がることだからです。
やりたいからこそ頑張るのであって、頑張ることを褒めるよりも、何かを喜んでやろうとしていることの方をむしろ褒めるべきではないかと思います。
そしてそういう場合には、なるべく手を貸さないようにしてあげることが本当の愛なのです。なぜなら、本人はそれを喜んでやっているからです。
しかし、頑張るというときには、ただそれを楽しみたいからという理由以外に、やらねばならないからという場合も往々にしてあるのです。
それは不安や恐れから逃れようとする自己防衛が理由であるため、それを褒めてしまうと人生を楽しむという原点の大切さを忘れさせてしまうことになるかもしれません。
やりたいから頑張っているときには、心が喜んでいるために本人は苦しみを感じないのですが、やらねばならないので頑張っているときには、自己犠牲から苦痛を感じるのです。
私たちはとかく歯を食いしばってやり遂げることに価値を見いだそうとしてしまいますが、決して忘れてはならないのは本人がそれを楽しめているのかどうかという点なのです。
そこにこそ、唯一の価値を見いだすことができるのですから。それをすばらしいと感じ、それを賞賛することが大切なのではないかと思います。
安易に手を貸してしまいたくなる自分の気持ちをしっかり受け止めたうえで、相手の喜びや楽しみを奪う結果とならないように注意したいものです。