昨日のつづきです。
自分の心の中に、何かとても確かな部分があり、それは自分の今まで生きてきた信念や信条を超越しているというお話しをしました。
私はそれを愛という名前で呼ぶことにしていますが、名前など本質的なことではありません。それの存在に気が付いていないなら、一緒に探してみませんか?
それは自分が何かと戦っていると感じると影を潜めて分からなくなってしまいますので、少しだけ気付くためにはコツがあるかもしれません。
たとえば、自分を小さく小さくしていって、一つの点になるくらいまで縮めてしまうか、あるいは逆に自分を拡大していってこの世界と同じくらいにまでしてしまうのです。
そうすると、自分というものは消えてしまいますが、視点だけが残ります。その状態は自分が攻撃されるという心配がなくなった状態ですね。
ある意味透明人間になったような、あるいはどこかしこに自分があるわけで攻撃のターゲットにはなりえないと分かります。
それは自分を無防備にしてくれるので、その状態のまま周りを見回してみると、比較的それの感覚で周りを見ることができるようになります。
瞑想しながらでも、お風呂にゆっくり浸かりながらでも試してみるといいかもしれませんね。私たちが幼い子供や小動物を愛しいと感じるのは危害を加えられる心配をしないですむからです。
それは上記と同じように、自分を無防備の状態にしてくれるのです。だから心の中のそれが発動して愛しく感じるということです。
それと一つになること、愛の心を思い出すこと、それこそが幸せな状態だと思います。大仰なことではなくとてもシンプルなことですね。