私たちは一日として、何かと何かを比べないで生活することはできません。いい悪いということを抜きにしても、これはもう決定的としか言いようがありません。
なぜなら、比べるということをしない限り、区別をつけることができないからです。ここに鉛筆があると認識すること自体、それ以外のものとの区別なしではできないのです。
そう考えてみると、比べるということはこの世界の基盤であるとも言えますね。身の周りに一つひとつの物があると分かるのは、比べるという作業をしているからです。
でも私たちはこの比べるということについて、あまりいい印象を持ってはいません。比べるのはよくないという一般的な共通認識があると思います。
それは比べることによって、何かを値踏みするとか、区別から差別に発展してしまうというようなネガティブな要素が絡んでいると思うからです。
しかし、自分は誰かを批判したり裁いたりもしたくないので、何事も「比べない、比べない」と呪文のように唱えたとしても、それは到底無理な話しなのです。
比べることは一分一秒ごとの自分の生活にしっかりと根付いてしまっているのですから。ところが、比べることをやめようとしなくても、心の中の愛を発動することができれば、おのずと比べるということが少なくなっていくのです。
愛は比べるということをしないからです。通常私たちが愛と呼んでいるものは、エゴのレベルの愛なので、比べることを全くしないということにはならないはずです。
それでも、確実に比べることへのエネルギーの使い方が小さくなっていくはずです。そして、その愛が徐々に純粋な愛に近づけば近づくほど、比べることが減っていくことになります。
そして最終的にはもうほとんど真実の愛に近いとなると、比べることができなくなって、それは物を区別することができない状態になってきます。
そうなると、一つひとつの物や一人ひとりの輪郭がぼやけてきて、すべてが一様に見えるようになるかも知れませんね。愛だけの世界を垣間見た人はそんな体験をしているようです。