私たちは生まれて物心つくころからずっと、自分の能力を伸ばしていくことにエネルギーを注いできました。それは自立していく上では当然のことだと言えます。
一人で服を着替えられる、一人で食事ができる、一人で勉強できる、一人で電車に乗れる、一人で○○することができるようになるということをいつも目指してきたのです。
そして大人になると、それだけではなくそれぞれの自分の能力をフル回転して成果を出すことによって、人から認められるようにと頑張るのです。
こうした生き方は気が付くとすでに始めてしまっていたわけで、年老いてリタイアするまで続くのかも知れません。
しかし、なぜかこのようにして結果を出したとしても心の奥にある不満や満たされない思いなどがなくなることはありません。
つまり、自分の力で何かを成し遂げてもその満足感、達成感は一時的なものであって、それが永続的な幸福感には繋がらないと分かっているのです。
私の経験では、成し遂げるのではなくて、気付くことでしか本当の変化を感じることはできませんでした。このこと自体も気付きの一つと言えると思います。
気付くというのは努力して成果を出すのとは全く違う体験です。気付きはあるときに突然やってきます。それを予想することはできません。
ですが気付きがやってきたときには、成果を手にした時の喜びとは全く別次元のとても新鮮な何かが見えたという感覚になれるのです。
気付きとは元々自分の中にあるものを発見するというような意味ですから、自分の外側に大切なものを発見するのとは全く異なるのです。
そしてこの気付きというものが実は本当の幸せ、本当の感謝、本当の喜び、そういったものに自分を誘(いざな)ってくれるものなのです。
しかも、気付きは努力して成果を期待する今までの生き方とは正反対の生き方をするときにこそ、沢山やってくるものだと実感しています。
人は大切なものは元々すべて持っているのです。だからこそ、そのことに気付くことこそが本当の生き方だし、そこにこそ真の心の平安、幸福感というものがあると思うのです。
気付くことには限りがないようです。何度気付きがやってきたとしてもまた次に新たな気付きがやってきてくれます。人生とはその繰り返しなのだと思います。
気付くためにはとにかく外側の世界を見る代わりに、自分の内的世界に常に目を向けておくことです。外の世界を見るときには、必ず内側を見ているのだという意識で見ることです。
外と内は一つなのだという気付きがその後の大きな気付きへと向かわせてくれるかもしれません。