自分を客観視する

心を癒していくために最初に通る道は、自分が気付いていなかった自分自身について深く気付いていくことだと言えます。

もしかすると、そうした気付いていなかったことは周りの人からするととっくの昔から気付かれていた可能性があります。人のことは良く分かるが自分のことは分からないとよく言うのはそういうことです。

そうした自分への気付きというのは、自分を客観視することができるようになるにつれて、次第に増えていくのです。

たとえば、誰かに迷惑をかけてしまったと気付いたら、誰でもその人に謝まりつつ申し訳ないという気持ちを感じるはずですね。

しかしその迷惑をかけた相手が自分自身だった場合にはどうでしょうか?他人の場合と同じように自分に対して十分に申し訳なかったという気持ちに果たしてなれるでしょうか?

私は病気による手術によってお腹を50針くらい縫ったことがあったのですが、当初その傷口をみても何とも感じることはありませんでした。

しかし手術して3ヶ月くらい経過したある日に、いつものようにお風呂に入っているときにその傷を見て本当に自分に対して取り返しのつかないことをしてしまったと感じたのです。

そして人に対して感じたことのある申し訳なかったという思いと全く同じような申し訳なさというものを思い切り自分に対して感じたのです。

それはきっと生まれて初めて自分に対して味わった感覚だったと思います。その日を境にして自分の人生に変化が生まれたと思っています。

気付きとはそういうものなのです。自分を本当の意味で他人を見るように客観視できるようになることなのです。それはある時に突然やってきます。

そしてその先にこそ、癒しの次の段階が待っています。それは、今度は自分を見るように人のことを見てあげるという心になるということです。

これは自分のことを客観視できないとなかなか難しい心の状態だと言えると思います。そうやって、癒しは続いていくのです。その過程の中で幸せについて分かっていくのです。