幼い子供にとって、家庭の中が安心していられるような場所でないと感じるような場合、毎日がまさにサバイバルのようなものだと言っていいと思います。
つまり、毎日楽しいことを探すというような無邪気な心で生活するどころではなく、どうやったら無事に自分は生き延びることができるだろうかと四苦八苦しているということです。
これはオーバーな表現に聞こえるかもしれませんね。大人の目線からは到底分かりようがありません。しかし、よくよくその子供の心を見てあげればすぐに分かることです。
父親と母親がいつも仲が悪かったり、家族の誰かが誰かを痛めつけていたり、そんな状態ではどうやっても安心などしていられないのは当然のことですね。
子供は自分が家族を何とか助けたいと思うのですが、所詮子供ですから何もすることはできません。それを子供心に自分は何て無力なんだろうと悲嘆するのです。
辛そうで幸せそうではない家族に対して、子供は子供なりにかわいそうに感じるため、無邪気な態度で家族と接することができなくなってしまいます。
つまり、甘えたり訴えたり、怒ったり、文句を言ったり、駄々をこねたり、そうした子供らしい毎日を過ごすことを自分からあきらめてしまうのです。
そうした本音を心の奥にしまいこんで、本当は大変な不満を抱えたまま大人になっていくことになります。そうすると、その隠し持っている不満や感情が日常生活のどこかに顔を出すことになります。
そして、困ったことに大人になっても幼い頃のサバイバルな人生をやめることができなくなってしまうのです。本人の生きる目的は、まさに生き延びるということのままになるのです。
そのため、他人からの評価を悪くしないようにと頑張る人生が待っています。そうやって、いやなことでも我慢しつつ人から認められて、生き延びようとするのです。
今日もいい評価をもらえて生き延びることができたと感じると、それが本人にとっての幸せだということになります。これが戦場で生きているサバイバルな人生を送っている人の姿です。
これでは一生を戦火の中で生き延びるという目的どおりの人生を送り続けることになってしまいます。みなさんは自分の人生をサバイバルだと感じてはいませんか?
もしも、そんな気がするという場合には、生きる目的をきちっと設定しなおす必要があるということに気付くことです。
そして、生き延びることが幸せに繋がるのではなく、サバイバルをやめることによってのみ心の本当の平安を手に入れることができ、それこそが今まで味わったことのない幸福感に繋がるものだと知る必要があるのです。