世の中には、頑張らなければならないという信念を持っている人が意外に沢山います。頑張ったと認められた人は誰からも賞賛されますね。
そうやって、頑張るということがとても大切なことでもあるかのように思われてしまっています。しかし、頑張ると一口で言っても実にさまざまな頑張りというものがあるのです。
自分が望まないことではあるけれども、それを頑張ってやり通すことに価値があるのだという場合。あるいは、やりたくて仕方のないことなので自然と頑張ってしまう。
また、頑張ってるつもりは全くないのだけれど、人から見ると頑張っているように見えてしまうという場合など。本当に千差万別の頑張りがあるのです。
そうした中で、自分が頑張っている自覚のある場合、つまり頑張るべきだから頑張っているんだというような場合について見てみたいと思います。
なぜその人は頑張るべきだと思っているのでしょうか?頑張るとどんなメリットがあるのかということについて考えてみれば答えはおのずと出るはずです。
それは大抵、頑張ることで人からも自分自身でも認められる、それだけ評価されるということがあるのです。頑張った末にそれなりの結果を出すという期待が込められてもいます。
こうしたことの究極の目的とは、自分の存在意義を見出すということなのです。自分は役に立っている、自分は人から認められて安心できるという大きなメリットがあるのです。
そうした心の裏には、自分には価値がない、自分は駄目な存在なんだという自己否定が隠されています。それを払拭するためにも頑張らねばならないのです。
ですが、こうしたメリットは一過性のもので、いい結果を出したとしても明日失敗したらすべてがパーになってしまうということは分かりきっています。
ですから、この頑張ることで自分の価値を見出そうとする目論見というのは、生きている限り続けなければならないことになります。
そして自分の本音を殺してまで頑張るということは、結局自己犠牲を払うことにつながり、それは大きな怒りを蓄積することになってしまうのです。
したがって、この頑張る人生の結末は目に見えています。人から一過性的に賞賛されることがあったとしても、本人はいくらいい評価をもらえたところで、心の底から休まることは決してないのです。
みなさんはどんな「頑張る」を持っていますか?頑張るべきとか、頑張らねば、という意味に近いものを持っているという自覚がある場合には、上記のことをよく考えてみることが必要だと思います。