共通の恐怖

私たちの恐怖感とは、大抵が分からないということと直結しています。死ぬのが怖いのは死んだらどうなるのか全く分からないからです。

死んだらこうなってこうしてこんな具合なんだということがはっきり分かっていれば、誰が死ぬことを恐れたりするでしょうか。

幼い子供が異常に注射を怖がるのも、どれほどの痛みが襲ってくるのか分からないので怖いのです。何度も経験してこの程度かと分かっていれば恐れはかなり軽減されるのです。

こうしたことをよくよく考えてみると、私たちが共通して持っている恐れの正体というものが浮かんできます。

それは誰もが疑問に思っているのに、その答えが分からないということを考えてみればいいということが分かりますね。

それは、自分は何で生まれてきたのか?自分の人生はどうなっていくのか?死んだらどうなるのか?この人生の目的は何なのか?自分とは一体何者なのか?

こうしたことは日々生活していくうえでは必要ないこととして頭に浮かんでこないようにされていますが、こんな基本的なことが何も分からないというのは恐怖に違いないのです。

この恐怖心を見ることはとても都合が悪いので、通常は考えないようにして心の奥にしまい込んでいるのです。

それでもそこから来る恐怖感というものは、いつもどこかで感じているのです。どんなに笑い転げても、とても嬉しいことが起きても、いずれまたこの恐怖感の中に戻ってくるのです。

人生のどこかで落ち着いて、こうした分からないことに気持ちを向けていく必要があると思うのです。そして、もしもそうしたことへの疑問がなくなり、そうなんだと合点がいくようになったとしたら、心の奥に巣食っていた恐怖はなくなっていくのです。

宗教というのは元々はそうしたことを助ける目的があったはずなのですが、私が知っている宗教は組織化されてしまい、かえって人々に新たな恐怖心を与えることになっているように思えます。

何とかして、少しずつでも分からないことを分からないとはっきりと認めて、そこから目を背けずに向き合っていくことが大切だと思っています。

そうやって本当の自分というものを思い出すことが人生の目的なのではないかと思うのです。みなさんと一緒にそうしたことをやっていきたいと常々思っています。

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