静かな心

私たちはほんのちょっとしたことで自分の気持ちが高揚したり、全く些細なことでうんと落ち込んでしまったりするものです。

そうした周りの瑣末なものによって、心が波打っておおいに影響させられてしまうと、もっとしっかりとした何事にも動揺しない冷静な心を持ちたいと思うものですね。

確かに、何かに巻き込まれてしまってパニックになっていたり、とにかく冷静さを欠いてしまってあらゆる不安に飲み込まれてしまうと、本当の自分の能力や判断を使うこともできなくなってしまいます。

しかし、よくよく自分の心の中をのぞいてみると、どんなときにでも静かにただ周囲を見ているだけの自分がいるということに気付かされます。

それは起きている事柄にあまりにも影響されてしまう自分からすると、まったく異なる自分の姿に見えてびっくりすることになるかもしれません。

でも誰の心の中にも確かにその静かにしていられる心の部分があるはずなのです。それは一体何者なのでしょうか?

よく危険な状態におかれると、周りがスローモーションのように見えるということが言われますね。私自身も幼い頃に家の脇にある川に三輪車ごと転落したことがあるのですが、そのときに周りの景色がスローモーションのように遠ざかっていくのをはっきり見ました。

そしてすごく冷静でした。それは川に落ちていくということに気付いていなかっただけかもしれませんが、それでも恐怖を全く感じなかったというのは普通ではあり得ないことです。

表面的な自分の意識がそのときに起きている事象に対処できないと感じたときに、一瞬降参するのではないかと思うのです。

そのときに、バックに控えているホンモノの自分の心が出てくるのではないでしょうか?それがどんな状態であろうとも静かに物事を見ているだけの心なのです。

私は10年ほど前に大腸癌になって手術をしたのですが、そのときにも表面意識では怖いし全くとんでもないことになってしまったと思っているのに、奥にある心はことのいきさつを静かに見ているようでした。

そこに意識をあわせると、どうしたわけか慌てず焦らずただ静かに成り行きを見守っているだけのように感じたのです。

その静かな心と繋がっているときには、何が起きようとも全く動じないでいられるのですから、なんと頼もしいことでしょう。

大きなパニック状態がやってこなくても、自然とそこと繋がることができれば、いつも穏やかな落ち着いた平安な心でいられることになるのです。

この静かな心と繋がる練習こそが瞑想なのではないかと思っています。
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