よくクライアントさんに信念、信条についてお聞きすると、多くの人が「人に迷惑をかけないように生きること」というようなことをおっしゃいます。
人に迷惑をかけたり、人から後ろ指をさされるようなことさえしなければ、あとは自分の自由に生きていいのではないかという考え方ですね。
自分の言動がほかの人の迷惑になってしまったり、いやな気持ちにさせたりすると、大抵罪悪感を感じてしまうのですね。
そうした罪悪感を持ちながら生きるのがしんどいので、何とかそれだけは避けたいという思いがあるということだと思います。
確かに人との関係の中で自分本位にばかりにしていたら、あの人はエゴイストだといわれてしまうかもしれません。
そんな人間にはなりたくないと思うので、自分の気持ちと相手の気持ちのバランスをとりながら関係を続けていこうとするのです。
しかし、相手に悪いなあと思うのは罪悪感が原因なわけですが、もしもそれを感じなくなってしまったとしたらどうでしょうか?
それはやはり自分勝手な人、自己中心的な人物というように見られてしまうかもしれません。ところが、いつもそうとばかりは言えないのです。
実は、本当は罪悪感を感じているのにそれを抑圧して分からないようにして、自分勝手な行動をとる場合には、周りからは自己中な人と思われるのです。
しかし、本当に罪悪感を感じないような場合には周りの反応が変わる可能性があるのです。それは愛によって罪悪感を感じなくなっている場合なのです。
その場合には、同じように自分勝手に見える行動をした場合でも、不思議と周りの人から否定的な目で見られることがなくなってしまうのです。
一見自己中だと見えたとしても、必ず後から理解してもらうことができるのです。愛とはそういう力を持っているのです。
人が愛で行動したときには、それがどんなに自分勝手に見えたとしても、それはいずれ受け止めてもらうことができるのです。
愛は当人の心からも、そして周りの人の心からも、罪悪感や罪を見る目を蹴散らしてなくしてしまうことができるからですね。