私たちは誰もがより幸せになりたいと願っていますが、それはただ楽であればいいとか毎日苦しまなければいいというものではないはずです。
何かしら、より価値のある人生を生きることで幸せになりたいと思っているのです。つまり、無意味な人生などでは幸せにはなれないだろうという思いを持っています。
自分が生きて何かをすることで、それが誰かの役に立つようになるとか、人から賞賛されるとか、とにかくそこには価値というものを求めているのです。
価値の見当たらない人生など無意味ですし、そんな人生では決して幸せになどなれはしないと思い込んでいます。
なぜそんなふうに考えているのでしょうか?もしもこの世界がユートピアで誰もが元々幸せに満たされているとしたら、そこで自分はどんな価値のある人生を生きれるでしょうか?
争いもなく人々が楽しく暮らしているとしたら、それ以上殊更人生に価値を見出す必要などなくなってしまうはずです。
つまり本当の幸せとは、価値を必要としない心の状態なのです。逆に、幸せではない状態、苦悩している心こそが何かしらの価値を必要としてしまうということです。
私たちは本当に幸せな状態ではないからこそ、無意味な人生では困ると思っているのです。人生に何らかの意味付けをすることで、足りてない幸福感を満たそうとしているのです。
それなら、もうこの世界そのものに意味を見出そうとすることをやめてみたらどうでしょうか?どんなことにも意味はないし、価値があるかないかということにも意味を見出さないということです。
そうすると、こだわりやわだかまりもなくなって、ただ穏やかな心でいられるようになるはずです。頑張って意味のないところに価値を見出すということも必要なくなります。
これこそがきっと幸せになる最短コースであると思います。意味がないというのは否定的なことでは決してありません。
幸福とは愛の状態であり、愛は何にも意味を見出すことをしないのです。愛そのものがすべてであるからですね。