昨日のつづき
この世界には意味がないので価値を判断することもないというお話しをしました。人の存在価値についても同様なのです。
どうしても存在価値について云々したいのであれば、それは実在である真の自己にこそ存在価値があると思えばいいのです。
真の自己とは私たちの本当の姿であるすべては一つという想念、つまり愛そのものであると言えます。ただ、価値などという我々がでっちあげた言葉であらわすことなどできないくらいの実在だと思えばいいです。
それこそが本当の自分なのです。だから安心していいということですね。私たちは幼い頃にさまざまな理由によって、自分は駄目なやつだという思いを作り上げます。
それは罪悪感と呼んでもいいし、自己嫌悪、自己否定感と言ってもいいのですが、とにかく存在価値を感じられない状態にしてしまうことがあります。
そのことで何事にも自信を持つことができずに、人生を悩むことになってしまうのです。しかし、なぜ存在価値がないと思うことでそんなに悩むことになるのでしょうか?
それは自分に価値があると思いたいからですね。なぜ価値があると思いたいかと言うと、自分の存在に意味があると思いたいからです。
自分は特別な存在であり、他者と明らかな違いがあって、分離していることによって独自性を保っていると思いたいということです。
ここがすべての起点になっています。すべては一つという愛に戻ることができたら、この起点自体が意味のないことだということが分かります。
だからこそ、分離という基盤のうえに成り立っているこの世界もこの人生にも、価値も意味も何もないということです。