時々みなさんにお話しすることなのですが、大抵の人が嫌いだと思っているゴキブリを例にあげたお話しです。
ゴキブリなんて見るのもいやだと思っている人は沢山います。そんな人たちに、心の底からそのゴキブリを頬擦りするくらい好きになる方法があるとしたらどうしますか、と聞きます。
そうすると、ほとんどの人がそんなことは必要ないと答えてくれます。たった一錠の薬を飲むだけでいいと言われても確実に断ると思います。
あんな気持ちの悪いゴキブリを好きにならなくてもいいという気持ちが強いということです。でもよく考えてみると、何かを恐れたり嫌ったりするより好きでいる方が気持ちよく生きれますね。
だったらなぜ嫌いなままでいいと思うのでしょうか?ゴキブリに限らず、周りにいる人の中で絶対に好きになんかならなくていいと思えるような人はいませんか?
嫌いというのは拒絶からきます。拒絶は恐怖からくるのです。好きという感覚は勿論愛ですね。つまり、嫌いなままでいいと言うのは、愛よりも恐怖を取ると言っていることになるのです。
そうまでして嫌いなままを選ぶ本当の理由は、それが嫌いだという自分の気持ちを大事にしたいということなのです。
ゴキブリを嫌いという気持ちを正当化しておきたいということです。あんな気味悪い生き物を好きになんてなったら自分が可愛そうだくらいに感じているのです。
自分の中にある自然な好き嫌いの感覚、あるいは正不正、善悪、その他様々な信念信条、ルール、考え方などそういうものを変えたくないのです。
自分を作り上げているそうした諸々の要素を変えるつもりはないと思っているのです。その中心にあるものが自己概念、自己イメージというものです。
私達は誰であれ生まれてから長い時間をかけて培ってきた自己概念が正しいと思いたいのです。だから、それを手放そうとなど全く考えも及ばないわけです。
ゴキブリが嫌いという自分の感覚のままでいいというのはそういうことなのです。しかし、本当の心の癒しというのはそうした自己概念を手放すことがどうしても必要なのです。
つづく