何かを渇望して、それを手に入れるために無類の努力をして、そしてめでたくそれを得られたとしても人は満足することはありません。
志望する学校に入学できても、希望する会社に就職できても、愛する人と結婚できても、素敵なマイホームを建てられたとしても、決して満たされることはありません。
3億円の宝くじに当選しても、そのお金で好きなものを沢山購入できても、自分の思い通りに人や社会をコントロールできたとしても、金メダルを獲ったとしても、結果は同じです。
その理由は簡単です。今上で挙げたようなことはみな自分の外側で起きたことだからです。その時々の達成感だったり、一過性の満足感は確かに得られます。
しかし、真に私達が求めている永続的な満足感、満たされていると言う感覚とは違うものです。真に満ち足りているとは、それが決して失われるものではないと分かっているということです。
自分の達成した成果や外側で起きたことというのは、すべて一過性のものに過ぎません。それはいつ失われることになっても不思議ではないのです。
つまり外側に何かを求めている限り、それを手に入れられても入れられなくても満ち足りるということにはならないということです。
自分の外側に求める心こそが自分の心に欠乏感をいつまでも残してしまう原因となっているのです。求める人生を辞めることこそが、満ち足りた幸福な心になるための条件だと言えます。
外に求めないと一口に言っても、そのことを真剣に考えてみると大変なことだと気づくことができます。なぜなら、私達は一様に誰でもがずっとそうした人生を送ってきてしまっているからです。
他の人の力に頼って求めるのが依存心であり、自分の力で求めるものを手に入れようとするのが自立心なわけです。
結局、自立していても依存のままであってもどちらも本当に満ち足りるという心の状態にはなれないということになります。
勿論、私達は簡単には求める人生をやめることはできないでしょう。それでもそれを承知の上で少しでもそこから手を引くことにチャレンジする必要があるのではないかと思います。
それが与える人生ということになります。