理不尽なこと その2

約一年前にとてもひどい理不尽さの中に自分から入り込んだというお話しをしました。その時は、その理不尽なことに対して防衛しようとしてしまう自分ばかりを感じていました。

そして、出来る限りその理不尽さを愛で溶かすことができるようになれたらいいのにということも書いたはずです。

今その理不尽さと一年付き合ってきて思うことは、自分でもうんざりするほど一進一退を繰り返しているなあということです。

正直な気持ちとしては、密かに期待していたようには自分の心が変化してないのではないかと感じています。

残念といえばそうですが、でもそれだけ自分にとってとても難しいチャレンジングなことなのだろうと思って、また気持ちを新たにしています。

この一年の間自分が心がけてきた事は、相手の理不尽さを裁かないでその向こう側にある相手の本当の愛の部分だけを見ようとすることです。

うまく行くときもありますが、自分が相手から裁かれていると感じると、自分の心に少しずつ余裕がなくなっていき、結果としてその理不尽さをどうしても感じてしまうのです。

逆に防衛する必要があまりないと感じる場合には、その理不尽さを通り越して相手を見ることもできなくはありません。

それだけ自分を守りたくて仕方ないんだなということが分かります。理不尽さを感じてしまう気持ちというのは、そもそも自分の中にある信念などを基にして裁こうとする意識なわけです。

従って、理不尽さを愛で溶かすためには、自分の信念や信条というものを手放しておく必要があるということになります。

この心の訓練は一年くらいではとてもマスターできるものではないということがよく分かりました。また来年の今頃にこのことを思い出してどんな思いでこれを読むのか、楽しみです。

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