一ヶ月ほど前にこのブログで、自分を責め続けるメリットについて書きました。その時には、自分を責め続けていると、誰かを憎んだり恨んだりしている見たくない自分の本心に気づかずにいることができるというお話しをしました。
しかし、自分を責めてしまうことによるメリットというものは、実はそればかりではありません。そこには、それこそ沢山のメリットを見出すことができるのです。
例えば、誰かに責められる前にまず始めに自分で自分のことを責めておく事によって、人に責められたとしてもダメージを最小限度にとどめることができるというのがあります。
予め最悪の状態を予期しておいて、ショックをできるだけ小さくしようとする作戦なわけです。これは幼い頃に親に怒られる前に自分で自分にダメ出しをする子供の心と同じです。
また、元気な自分でいるよりも自分はダメなんだと責めている状態の自分でいる方が、周囲にやさしくしてもらえると思っている場合もあります。
これは通常の肉体的な病気になって、いつも怖くて冷たい親に優しくしてもらおうとする幼い子供のやり方と同じです。
こういったメリットというのは、単独で使われる場合もありますし、複数のメリットを同時に享受しようとして自責する場合もあります。
そして、実はそうした自責する心の部分というのを、影で糸を引いている黒幕のような意識があるのです。
それは様々な心の断片に自分を責めさせておいて、ある本質的なメリットを得ようとする意識なのです。
その目的は、自責する心が幸せになることはないと分かっているので、自分を不幸な状態に置き続けることで自らの存続を図ろうとするのです。
それがエゴなのです。エゴは自分で自分を徹底的に責めさせておいて、そこから自分を防衛しなければならないとして、エゴ自身を殺さないように仕向けるのです。
自責の念はどんな理由があるにせよ、その理由はエゴが勝手に後付けで作ったものなので、それを信じないことです。
もしも、自責の念があると自覚があるのでしたら、その意識に乗っ取られないようにして、中立な自分の意識で自分を裁かないで見るトレーニングをすることが大切です。