必要とされること

何日か前にこのブログで、見捨てられるということが人間が感じる最大の苦悩だということをお話ししました。

見捨てられるというのは、役に立たないとか、用なしとかいう意味合いを感じますね。つまり、必要とされてないという感覚にも近いかもしれません。

しかし、見捨てられることが最大の苦悩である本当の理由は、自分は愛されていないという感覚になることが原因なのです。

愛されているという体験があまりにも足りてないと、見捨てられるという苦悩から逃れるために愛されたいと望む代わりに必要とされたいと勘違いしてしまうことがあるのです。

本質的には愛されることと必要とされることは全く別のことなのですが、この二つを混同してしまうということです。

そこから何かと頑張る人生が始まるのです。つまり、必要とされ続けるためには自分の能力や行動を認められることが条件となるからです。

何の取り得もなければ、人は自分を必要としてくれるはずがないと考えてしまうからです。必要とされること、それこそが自分の価値だと思い込んでしまうのです。

厳密に言うと、本当の愛は何も必要とはしません。何かを必要と感じるのは、人間が持っている欠乏感からくるのです。

ですから、それは愛とは程遠いものなのです。最も月並みな例をあげれば、依存心であろうと相手を必要とするのです。必要とされていることが愛されていると錯覚してしまうと、依存者に依存させる共依存になってしまいます。

もしも、自分はあまり人から必要とはされていない感じがすると思っているのでしたら、それを解決するために頑張るのは得策とは言えません。

それは単に愛が足りてないという感覚ですので、自分が愛を与える存在になることです。そうすれば、必ず愛を与えてもらえるようになるのです。その結果、必要とされなくても満たされた心でいられるようになるのです。