損をしたくない

お店で買い物をしてお釣りをもらったときに、正規の額より多ければちょっと嬉しい気持ちになるか、気になって返しに行くかもしれません。

でも、そのお釣りが足りないと気付いたら、とても損をしたようないやな気分にさせられますね。これは誰であろうと例外はないのではないでしょうか。

その時にきちんと足りなかった旨を店員さんに申し出る事ができる人と、なかなか言えない人といるのです。言えない人は損をした悔しさに翻弄されることになってしまいます。

誰だって損をしたいと思っている人などいないわけですが、額が少なければまあいいやと思える可能性もありますが、実際にはこれは額の大小の問題ではないのかもしれません。

損をしてしまったというこの感覚自体を嫌っているのです。お金に関してだけではありません。人間関係において、様々な場面で損をしたと感じることが発生します。

例えば、大皿でパスタを頼む形式のお店に行って、みんなで各自順番に自分のお皿にパスタを取っては食べるという場合、他人のことを考えるあまり遠慮がちになってしまう人がいます。

そうかと思うと、その逆に人のことをあまり気にせずに食べたいだけ自分のお皿に取ることが普通にできる人もいますね。

前者の場合、誰にも強制されたわけでもないのに、何となく遠慮してしまい食べたいだけ食べれないということが起きてしまうかもしれません。

そんなとき、その人は心のどこかで平気で好きなだけ取れる人を羨ましいと思うのか、怒りを感じてしまうのかのどちらかになります。

結局、そのような人は人と一緒にいると何かと損をしてしまうと感じるようになって、人間関係を疎ましく感じるようにもなってしまうのです。こんなことだったら、一人で食べに行くか、最初から一人ずつのお皿でオーダーしたほうがよっぽどいいと思ってしまうわけです。

ここでは気付く必要のあることが二つあります。一つは、損をしたと感じたときになぜしっかりと自己表現することができないのかということです。

あるいは、もともと損をしないように不必要な遠慮をしないということがなぜできないかということです。それは、嫌われたくない、見捨てられたくたいという自己防衛の働きによるものです。

このような自覚のある人に必要なことは、少しずつ嫌われる恐怖を感じながらも自己表現をしていく訓練をすることです。

そうやって、自ら自己犠牲を強いてしまう人間関係のパターンを少しずつ改善していく必要があるのです。そうすれば、人と一緒にいることが辛くなくなるのです。

そしてもう一つ、気付く必要があるのは、損をするという感覚はどのようにして発生するのかという点です。

つづく