よく芸能人や有名人の人たちが、全く身に覚えのないことを記事にされたと言って憤慨しているシーンを見ることがあります。
一般人は週刊誌や芸能ニュースなどの情報を聞くと、丸ごと信じないにしても全くの出鱈目だとも思わずにいることが多いのではないでしょうか。
それは、「火のないところに煙は立たぬ」、つまりそうした噂のようなものが起こるには何らかの理由があるはずだと思うわけです。
そこに、ほんの少しでも事実として何かが見つかると、やっぱりね、ということになるのです。そしてまた次の記事を読んで同じように疑いの目で見るという習慣ができあがります。
また逆に、ある人に降りかかったネガティブな噂が、実は根も葉もないウソだったと分かったとしても、何となくその人に対するネガティブな感覚が残ってしまうものです。
その残った感覚というのは、実は見聞きした情報を元に自分が勝手に作り上げた相手に対する否定的なイメージなのです。そして、それは相手には罪があると思いたいという意識に他なりません。
この傾向は誰にでもあるものです。だからこそ、いいニュースよりも否定的な内容のものに世間の関心が集まるのです。
私たちは、こうして人を罪人にしたくて仕方のない心の部分を持ってしまっています。それは勿論自分には罪はないということを証明するためなのです。
言葉を変えて言うと、罪深い自分というものを隠そうと躍起になっているということです。それはとりもなおさず、自分に対する大きな罪悪感を持っている証拠なのです。
罪悪感を手放していけば、相手の中に罪を見ようとする力が小さくなっていくはずです。そして、最終的に人も自分も何の罪もないという地点に到達できるはずです。
そんな自分の心を想像してみて下さい。この上なく清清しい何とも言えないすばらしい気持ちになれるのでしょうね。