「女心と秋の空」ということわざがありますね。女性の心は日本の秋の天気のように変わりやすいということを言っているのですが、殊更女性についてだけ変化しやすいというのは信憑性に欠けますね。
実際、「男心と秋の空」ということわざもあるらしいです。男女問わず、人の心というのはそのように一定していないものであることは疑いようのない事実です。
さっきまで気分爽快だったのに、なんだか急にいやな気持ちがしてきてみたり、落ち込んで泣いていたのに、ゲラゲラ笑い出すなどということもありますね。
その変化の幅が少ない人は感情の起伏が小さい比較的静かで穏やかな人だし、変化の幅も時間的な変化の量も大き過ぎると、自分でもその変化についていくことができずに疲れてしまうかもしれません。
そうした気持ちの変化の中で、何があったというわけでもないのに、何となく自分は幸せだなと感じるときがあります。
宝くじが当たって嬉しいとか、欲しかったものが手に入って有頂天になるとか、そういった外的な事象が何もないにもかかわらず、ただ不思議となにげない幸福感を感じるのです。
それは大騒ぎしたいわけでもなく、それほど強く迫ってくるものでもないのですが、でも確実に自分の心の中でそれは起きています。
その時に、自分がいつも考えることは、○○で幸せだなとか、○○が嬉しいなとかいうものですが、その○○は実は常にあるものなのです。
例えば、自分は今穏やかな気持ちでこの本と向き合っている時間と意欲があって、何て幸せなんだろうというものだったりします。でもそれは毎日起きている当たり前のことなのです。
そんなことでも、その幸福感がやってくると、嬉しいことに思えてしまうわけです。こうして、このブログを書いている今も結構な幸福感がやってきてくれています。
それは人に説明したら、なんでそんなことと言われてしまいそうな事ですが、でも内的な満足こそが幸福感を作り出すのかもしれません。
このなにげない幸せは、時々やってきてくれるのですが、いつもというわけではないのが残念です。でも心の癒しをするなかで、そうしたことが少しずつ増えてきているのかなと思うこのごろです。