昨日のつづきです。
「いやなこと」が心に浮かんできたら、自分はそれを選択しないときっぱり宣言することが大切だということを書きました。
様々ないやなことがある中で、エゴにとって我々を翻弄していいように操るために最も好都合なのは罪悪感です。
エゴを選択し、そして罪悪感を選択してしまうと、私たちはいきなりどうしようもないダメな奴になってしまいます。
「自分は家族に苦痛を与えてしまった。」とか、「誰かをひどい目にあわせてしまった。」などとして、自分を責めるのですが、しかし実はどんな場合にも、罪悪感には根拠が絶対にあり得ないのです。
エゴの範囲内では、エゴの操りで、罪悪感には根拠があるように見えてしまうのですが、それは愛のないエゴのルールの中でのことです。
しかしこの根拠が本当にあると思い込んでいるならば、あなたはエゴの枠組みの中に閉じ込められて、脱出できない羽目に陥っていると言えます。
コースが教えているように、誰にとっても、自分を傷つけられるのは自分の思い以外にはない、ということを思い出して下さい。
もしも、自分が罪悪感を選択しないでい続けることができたら、あなたに傷つけられて苦しんでいた人たちにも変化が訪れます。
彼らもそれまでのあなたと同様にエゴの枠組みの中にいさせられ、あなたの罪悪感を正当なものとする意識でいただけだったのです。
自分の内に罪悪感を見ない、選択しないでいることで、他人の内にも罪はないものとしてみることができるようになります。そうなると、自分と相手の間の隔たりを保つものがなくなり、自然と一つになっていくのです。
それが、コースで言う一体化です。それこそが本来の自分の姿なのです。