昨日の続きです。
エゴの目的は、分離をし続けることによってそれが事実だと思おうとしているエゴそのものを存続させることだという話をしました。
エゴがその目的を達成し続けるためにやったことは、時間と空間を作ったことです。これによって、空間的にも時間的にも隔たりという概念を導き出しました。それが物理的な分離をサポートしています。
そして、分離してしまったということからくる罪悪感を利用したのです。罪悪感は同時に怖れを生じるものです。そしてそれはまた怒りをも発生させます。
そういった苦悩を持つことによって、それを自分と切り離したいと思うようになって、それを実現するために抑圧と投影を発明したのです。
抑圧はいやなものを持っていないとして楽になろうとする防衛であり、その上にそれを外部に投影することでやっぱり自分にはそんなものはなかったとする二重の防衛をやってのけたのです。
そんなひどいものを持っているのは自分以外の外にいる誰かだとすることによって、結局分離を維持しようとしたわけです。その企みはまんまと功を奏してしまいました。
エゴのたくらみは今も延々と続いています。そして、自分は他人とは違う個人であると自分に思わすことで、分離を確かなものとすることに成功してしまいました。
自分と周囲との間の間隙には、罪というものがどっしりと置かれてしまっています。これが、すべては一つであるという愛の想念を邪魔しているのです。
だからこそ、罪はないとしてすべてを赦すことが、自分と相手の間の距離をなくして元々の大いなる一つと一体になることに繋がるのです。