祈り その2

昨日の続きです。

自分が何かをひどく怖れていて、そのことによって多大な損失を被っているとしたら、それを怖れないようになりたいと祈りたい気持ちになるかもしれません。

しかし、いくら真剣に祈ったとしても、残念ながらその祈りは聞いてはもらえないはずです。なぜなら、怖れを感じることも何かの結果でしかないからです。

その怖れの原因となるものを自ら隠しておいて、その結果だけ取り除いて下さいと願ったところで、その祈りは届かないのです。

もしも祈るとしたら、まずその怖れの原因となるものを見ることを選択したいので力を貸してくださいとすることです。

その上で、見つかった原因を結果である怖れと一緒に、これは自分にはふさわしくないものなので、受け取って下さいと差し出してしまうことです。

この方法が一番願いが叶う方法だと言えると思います。なぜなら、仮に祈りを受け止めてくれるのが自分のマインドの中の愛の部分、つまり聖霊だとすると、それが自分に対して頼んでいる唯一のことは、自分が隠していることをすべて曝け出して見せて欲しいということなのです。

自分が自分に隠してしまっていることは、聖霊も見ることはできません。そのことが分かってないと、すべての祈りは無駄になってしまいます。

聖霊はエゴとはコミュニケーションできません。自分が自分を守ろうとして、何かを隠してしまうと、聖霊にはエゴとして見えるためにその願いは伝わらないのです。

隠すことをやめて自分に対しても無防備になると、闇だったところに光が差し込んで、愛が入り込むことができるために、聖霊はそれを見つけてそれを愛に変えてくれるのです。

エゴ的な祈りを何千何万回繰り返しても願いが叶わないのには、こうした理由があるのです。そしてもし、そういったエゴの願いが叶ったとしても、そのことで幸せになることはないのです。