祈りというと、一般的な日本の文化では少し宗教的な感じがしますが、元々は農作物の豊作を祈ったり、苦労して育てた稲が枯れないように雨乞いをしたりということがあったわけです。
いわゆる人智を尽くして天命を待つということですね。最後は人間技ではどうしようもないので神頼みをしたくなるということです。それが祈りです。
ところが、いくら必死に祈ったところで神はいつも聞いてくれるとは限りません。どちらかというと、あれだけ真剣にお祈りしたのに全く効果がなかったと神を恨む気持ちになることの方が多いかもしれません。
例えば、自分や大切な人が病気を患っている場合に、それが治癒するようにとお祈りする場合があると思います。
もしもその祈りが通じないとしたら、それはその病気を起こしているのは自分のマインドの中に潜むエゴだからです。
病気はあくまでもその結果なので、結果をいくら取り除いて欲しいと願ったところで、その原因があり続けるならその祈りは成就しません。
それは例えて言えば、暴飲暴食をしておいて痩せれるようにお祈りするようなものです。太るのは結果であって、結果だけを変えてくれとお祈りしても原因が続く限りは無理ですね。
その場合は、暴飲暴食自体もそれをさせる大元は自分の心が原因だと理解することがまず必要です。そして、その原因となっている心の中にある自分を痛めつけたいという思いを手放したいので助けて欲しいと願うことです。
同様にして、病気を治したいと思う場合にも、その病気が自分でも相手でもそれは自分の心が起こしている問題だと認識することです。
そしてその原因となる心をできるだけ愛の方向へ向かわしたいのでそれを手助けして下さいと祈ればいいわけです。
ちなみに、エゴは祈るだけ祈らせておいて、それが通じなかったという結果を作り上げてほら神などいないんだ、もしくは神とはそんなものなんだと思わせようとしているとも言えますね。