加害者

人生においては、自分では思いもよらずに加害者の立場になってしまうことがあります。例えば、慎重にクルマの運転をしていたとしても、飛び出してきた人をひいてしまうといった事故に巻き込まれることだってあるかもしれませんね。

人からお借りしていたものを不注意で壊してしまうとか、何の気なしに言った言葉で相手をひどく傷つけてしまったりなど、いくらでも加害者になることはありますね。

加害者になってしまったと認識すると、大抵は罪悪感が発生します。そしてそのことで人は自分を責めて苦しむことになります。

ですから、自ら進んで加害者になりたいと思うことは一般的にはあり得ません。しかし、上記の例のように自分には全く悪意がなくても加害者になってしまうことがあるわけです。

意図せずに相手を傷つけたり、何らかの損益を与えるような事態となって、結果として加害者になってしまったと思う場合の方が、そうでない場合に比べて罪悪感を強く感じるかもしれません。

いつまでも、そうした罪悪感を思い出しては、自己嫌悪に苛まれるのはとても辛いものです。私の経験では、一旦忘れたと思っていたことでも、その時のエピソードとしっかりと向き合ってみると、その罪悪感はその時のまま減らずに残っているものです。

思い出すたびにあまりにも辛い思いをすると、そのことを忘れてしまって、そんな事実はなかったことにしようと思うようになるかもしれません。

しかし、その方法で解決することは絶対にありません。逆にそのことから逃げずに、自分を加害者だとしてしまった、自分の解釈に目を向けることです。

そしてその解釈は絶対的なものではないということに気付くことです。私たちは、無意識的にかなり独りよがりな解釈をするものです。

エゴは必要以上に自分を悪者に仕立て上げようといつも網を張って待っています。それに引っかかると、解釈の仕方にエゴのバイアスが加味されてしまいます。

そして私たちが罪悪感を持ってしまうことで、エゴは自分の立場が安泰でいられるようになるのです。自分でエゴの作戦にはのらないと決意し、相手に赦してもらって解決しようとはしないことです。

自分の心の愛の部分である聖霊に、「自分にはこんな罪悪感は必要ないので、受け取って下さい!」のように頼んで、それを引き受けてもらうことです。

聖霊は罪悪感は実在しないものとして、処理してくれるはずです。