知識というと、一般的には本やその他のものから学んで得た情報であったり、経験から体得して身につけたものなどを指しますね。つまり、白紙の状態から次第に増やしていくものです。
ですから当然生まれたばかりの赤ちゃんよりも、大人の方がより多くの知識を持っているということになります。
知識の豊富な人は物知りと言われたり、博識があるなどいい意味で表現されることが多いですね。
これに対して、「奇跡のコース」では知識とは最初から備わっているもの、あるいはそれ自身のことを指すものとして説明されています。
つまり私たちが知識と言っているものは、知覚であるとしているのです。知覚とは身体の五感を使って得るもの、あるいはそれを元にして認識したり判断したりすることも含まれます。
本やインターネットから得る情報も、結局自分の外側にあるものを知覚することでそれを自分のものとするわけですから、知覚だとしています。
知覚というのはターゲットが必要になります。いわゆる主体と客体があって、主体が客体を知覚するということで、その情報を取り込み、解釈、判断して蓄えられていきます。
そう考えると私たちの暮らしは知覚が全てであると言ってもいいですね。では「コース」が言う知識とは一体どんなものなのでしょうか?誰もが生まれながらに持っている知識の中身は何でしょうか?
「コース」ではそれこそが実在だと言っています。つまり、知覚は存在を作り出す、つまり知覚イコール存在を意味するのですが、知識とは実在そのものであるということです。
ですから、知識は認識するものではなく、判断や解釈されるものでもありません。実在そのものが自らそれを知っている状態を指すのです。
そう言われてもピンとこないですね。主体も客体もない世界、知覚のない世界のことですから、知覚しか分からない我々には理解できないのも無理のないことです。
ただ、「コース」の教えに従って、心を訓練していくことでいずれは知覚が知識へと取って代わられることになるとのことです。それこそが本当の幸せへの道なのです。
主体も客体もなく、すべてが一つである世界こそ実在であり、知識そのものであるということです。